持ち駒を増やすために、興味のない企業にエントリーするべきか?

「持ち駒を増やすために、あんまり興味のない企業にエントリーした方が良いのかな」
「よく知りもしない企業に落とされるのもダメージ受けるしやめようかな」

というあなたにお伝えしたいのは、

「持ち駒を増やすために、興味のない企業にもエントリーするべき」

です。

1.数をこなさなければ、質は上がらない

あなたは中学・高校のときに、部活に入っていましたか?

私は、高校時代バドミントン部に入っていました。バドミントンの競技経験のある方なら分かると思いますが、あの競技の運動強度はかなりキツイです。

世間では、

「公園でやる羽根つきでしょ?」

というイメージですが、実際はガチで息が切れまくる激しいスポーツです。そんな激しいスポーツなので、当然、練習は「走り込み」と「ノック」ばかりでした。

走り込んで、ノック練習をして、
走り込んで、ノック練習をして、

の、繰り返しです。

で、ノック練習をしていると、あることに気づくんですよね。それは、

「ずーーっとノック練習をしているうちに、ミスショットの数が減ってくる」

ということです。

スマッシュでも、ロブでも、ドロップショットでも何でも良いですが、初心者のうちは、20本のノックのうち、10本ぐらいはミスショットに終わります。半分ぐらいは失敗します。

ですが、ノックを1年間、2年間と続けていくうちに、

10本あったミスショットが、8本に減り、
8本あったミスショット、5本に減り、

と、ミスの確率がどんどん減っていくのです。要は、「ショットの質が上がった」ということです。ここで、重要なのは、

「ショットの質が上がったのは、たくさんの数をひたすらこなしたから」

ということです。

下手だろうが、何だろうが、とにかく数をこなし続けた。
ミスショットを連発しながらも、とにかく数をこなし続けた。

その結果、「ショットの質が上がった」のです。

最初から「百発百中を狙ってやるぜ!」とちまちま練習していたのではありません。とにかく数をこなしたのです。

就活も同じです。

「面接の数をこなさなければ、面接がうまくなるわけがない」

ということです。

「数をこなさないと質は上がらない」という部活経験は、あなたもスッと理解できると思いますが、就活になると途端に、

「知りもしない企業に落とされるとダメージを受けるから、なるべく一発で内定を取りたい」

というスタンスになってしまいます。

でも、それって、おかしくないですか?

部活の後輩が、

「ミスショットを連発するとダメージを受けるので、なるべく少ないノック数でやりたい」

と言ってきたら、あなたはどう言いますか?

「いやいや、つべこべ言ってないで、一万回ノックしてきなよ。苦笑」

と言いませんか?

言いますよね。

同じことなんですよ。

就活だって、とりあえず数をこなさなければ、面接のクオリティは上がっていきません。

  • 緊張せずに自己PRできるようになる
  • 面接官の顔を見ながら、コミュニケーションできる

といった、場慣れをしていかないと、あなたの本来の良さをアピールすることもできません。だから、

「持ち駒を増やすために、興味のない企業にもエントリーするべき」

なのです。

2.企業に落とされるとダメージを受ける「本当の理由」

あなたが今、興味のない企業にエントリーして、持ち駒を増やすのに消極的なのは、

「よく知りもしない企業に落とされて、ダメージ受けたくないしなぁ・・・」

という理由ではないでしょうか?

そもそも、なぜ企業に落とされると、ダメージを受けるのでしょうか?

「いや、企業からNOと言われてるんだから、傷つくに決まってるでしょ」
「人格否定されてるんだから、ダメージ受けるでしょ」

そう、それです。それ。

就活でお祈りされて、あなたがダメージを受けてしまう理由は、

「お祈り=人格否定」

と考えているからです。

全然、違いますよ。

あなたが就活で売っているのは「労働力」です。「人格」ではありません。

企業がお祈りをしたということは、あなたの「労働力」は魅力的ではなかったということです。あなたの「人格」が魅力的でなかったというわけではありません。

分かります?

労働力と人格は違いますよ。

人格が破綻していたとしても、労働力として魅力的であれば、企業はその人を採ります。人格がすばらしかったとしても、労働力として魅力的でなければ、企業はその人は採りません。

とはいえ・・・笑

確かに失敗すれば、傷つきます。

確かにお祈りされたら、傷つきます。

でも、本田圭佑が言うように

「失敗もすべて学びのプロセスとして考えてみる」

というのはどうでしょうか?

とにかく僕は、後先考えずにまず行動する。

失敗してもいい。

失敗は後付けで、うまくいい理由に替えることができるので。

この辺を、みなさんは、まだ四苦八苦しているのかなと思います。

失敗しました、傷つきます。

その処理の仕方は、自分に託されてます。

どうにでも、いい形に変えることができます。

僕はよく、自分のサッカースクールのコーチたちに言うんです。

失敗は自慢ができる、失敗した人ほど格好いいと。

失敗してない人に魅力はないと。

これ、僕が今、話していることは後付けなんですね。

勝手にそう決めているわけです。

それで僕は幸せになっています。

       

でくのぼう


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