就活で心が折れるのは「お祈り=人格否定」と考えているから

就活で、あなたの心が折れてしまうのは、

「お祈り=人格否定」

と考えているからではないですか?

就活は人格を査定する場ではありません。

「就活は営業」

と私はずっと言っているのですが、就活ただの営業です。

当たり前ですが、就活ではイエスと言われるよりもノーと言われることの方がずっと多いです。確率的にもノーと言われることの方が多いのは分かりますよね。

「早慶出身でも40社受けて1社内定」

という数字からわかる通り、ノーと言われることの方が圧倒的に多いわけです。拒否の方が多いわけです。

しかし、拒否と拒絶は違います。別の言葉で言えば、お祈りと人格否定は違います。

就活で心が折れてしまう人の特徴は、私が思うに、

「面接を受けてNOと言われると、自分が拒絶されたと受け止めてしまう人」

です。

一度立ち止まって考えてみてほしいのですが、そもそも就職活動とはいったい何でしょうか?企業が人材を採用する目的は何でしょうか?

そう、

「利益を出すために必要な人材を採用するため」

です。

「人格ができている人材を採用するため」

ではないのです。

お祈りと人格否定を一緒くたにしてしまったら、心が折れるのは当たり前です。お祈りのたびに

「また人格否定された…」

と思っていては、私だって心が折れて鬱になってしまいます。

お祈りはこう考えてください。

「お祈り」=「その会社が利益を出すために良さそうな人材が他にいた」

です。

「他にいた」というのがポイントですよ。「あなた」の絶対評価ではないのです。受験生すべての中での相対評価です。

例えばあなたがスーパーでジャムを買うとしましょう。そのスーパーにはジャムが20種類置いてあります。そのうち1種類のジャムをあなたは手に取りました。なぜなら、20個も買えないからです。

では、買わなかった残りの19種類のジャムは、最低な商品なのでしょうか?

違いますよね。ただ単に「あなたが今欲しくなかっただけ」ですよね。逆に、他の人から見れば、あなたが買ったジャムはいらないかもしれません。

もっと言えば、置いてある20種類のジャムが、すべてまだ食べたことのないジャムであった場合、あなたはどう言う基準で選びますか?

  • 値段かもしれませんね。
  • ブランドかもしれませんね。
  • パッケージのデザインかもしれませんね。

そういうささいな差で、あなたは買うジャムを決めていますよね。

就活もまったく一緒です。

会社から見れば、

「誰が本当に役に立ちそうか」

なんてわからないのです。

人事の面接官が書いた本で、

「20年面接をしているが、実際のところ誰が良い人材かはわからない…」

という苦悩が書いてあることからも、就活で決まる要因なんて、本当にささいな差なのです。「ジャムのパッケージがおしゃれかどうか」と一緒です。「営業・広告がうまいかどうか」と一緒です。

「人格がしっかりしているか」

では決してないのです。

就活で評価されるのは、

「その会社が利益を出していくために、あなたが役に立ちそうか」

だけです。

「お祈り=人格否定」ではないことだけは忘れないでください。

       

でくのぼう


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